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5、五 到最后,她 ...

  •   观察力细致的读者可能已经猜到,在前回的故事里,我和娜奥米已经有了朋友以上的关系。
      但事实并非如此。随着时间的流逝,彼此心中也产生了一种“了解”的东西。但另一方只是个十五岁的少女,我像前面所说的那样,是个对女人毫无经验的谨直“君子”,对于她的贞操,我深感责任重大,所以很少因为一时冲动而做出超出“了解”范围的事情。
      勿论,在我的心中除了娜奥米,没有哪一个女人会成为自己的妻子,即使有,现在也不能以情弃她。这样的念头逐渐坚定,扎下了根。正因为如此,我才不想用玷污她的方式,或是玩弄她的态度,一开始就触及这件事。

      没错,我和娜奥米初次发生这种关系是在第二年,也就是娜奥米十六岁那年的春天,四月二十六日——我之所以记得这么清楚,是因为在那时候,不,是很久以前,从开始帮她洗澡的时候开始,我每天都把关于娜奥米的各种趣事写进日记里。
      那时候的娜奥米,身材一天比一天更有女人味,越来越引人注目。
      就像生下婴儿的双亲会把孩子“第一次笑”、“第一次说话”之类的事件,当做成长记录写下来一样,我也把引起我注意的事情一一记在日记里。

      我至今还时常翻看:大正某年九月二十一日——也就是娜奥米十五岁那年的秋天——这条上是这样写的——
      「晚上八点帮她洗澡,被海水浴晒黑的皮肤还没修复。只有穿海泳衣的地方是白色的,剩下的地方是漆黑的,我也一样。但因为娜奥米原肤色很白,所以格外的显眼,就算赤.裸着身子也像穿着海泳衣一样。
      我说,你的身体看起来像斑马,娜奥米也觉得有趣,笑了……」

      又过了一个月左右,在十月十七日的日子记了一条:
      「晒黑的皮肤逐渐好转,结果反而变得比以前更加光泽,非常美丽。我洗她的手臂,她沉默地凝视着融化在肌肤上的肥皂泡。
      我感叹:“很漂亮啊。”
      “真的很漂亮。”她也同意,接着又补充了一句,“我是说肥皂泡。”」

      接着是十一月五日——
      「今晚第一次用西洋浴池。因为很不习惯,娜奥米在滑溜溜的浴池里滑得哈哈大笑。
      我说“baby大小姐”,她叫我“papa先生”……」

      就是这样,“baby小姐”和“papa先生”的称呼在之后也屡有出现。每当娜奥米求我做什么或向我撒娇的时候,她总是开玩笑地叫我“papa先生”。

      “娜奥米的成长”——在那篇日记里,附有这样的标题。所以不必多言,日记里只记录了与娜奥米有关的事情。
      不久,我买了一台写真机①,从各种光线和角度拍摄她那越来越像玛丽·璧克馥的脸,贴在记事本的各个地方。

      日记的事把话题岔开了。总之依此所述,我和她发生剪不断理还乱的关系是在来大森后第二年的四月二十六日。
      那时两人之间已经发展到心照不宣的“了解”,不是哪一方诱惑了哪一方,极其自然的,几乎一句话也没说,就在潜移默化中达成了这样的结果。

      她把嘴贴在我的耳边说道:“让治先生,你一定不要抛弃我。”

      “我绝对不会——扔掉你的,安心吧。你应该很了解我的心思吧……”

      “嗯,这个我知道,但是……”

      “那么,你是从什么时候开始猜到的?”

      “什么时候?我不知道……”

      “当我说要收养你照顾你的时候,娜奥米酱是怎么看待我的?——有没有想过我将培养你成为一个优秀的人,以后和你结婚呢?”

      “我有这么想过,可是……”

      “那娜奥米酱你是怀着愿意做我太太的心情来的吧?”
      我没等她回答,就用力抱着她继续说——
      “谢谢你,娜奥米酱,真的谢谢你,你真懂我……实话实说,你这样……我没想到你会成为我的理想型。我运气真好。我会疼爱你一辈子的……只有你……我绝不会像世间常见的夫妻那样糟蹋你。只要你想,我完全是为了你而活。不管你有什么愿望,我一定会帮你达成,你也要好好学习,成为一个优秀的人……”

      “嗯,我会努力学习的,我一定会成为被让治先生真正喜欢的女人,一定……”
      娜奥米的眼眶里流着噙着眼泪,不知何时,我也哭了。

      那一晚,我们俩不厌其烦地谈到天明。

      那件事没过多久,我就在周六的午后回到家乡,一直待到周日,第一次向母亲坦白了娜奥米的事。这其中的一个原因是娜奥米似乎很担心老家的看法,为了让她安心,我尽量光明正大地处理了这件事,也为了向母亲禀告。
      我如实陈述了我对“结婚”的想法,并解释了为什么想娶娜奥米为妻,让老人也能理解我的理由。

      而母亲早就理解我的性格,她信任着我。
      “你要是真的这么想的话,娶那孩子作新娘也可以。不过,那个孩子乡里乡亲全是那种人,很容易招惹麻烦,你可要小心,免得给以后成为累赘。”她只是这么提醒我。

      虽然公开结婚是两三年以后的事,但我也想尽快把户籍迁到这里来。
      于是我马上和千束町那边交涉,因为她母亲和哥哥本来就很悠闲,所以事情轻轻松松就办好了。她们本就随和,并不是那种心中算计重重的人,也没有说任何贪得无厌的话。

      从那以后,我和娜奥米的亲密程度急速上升,这是不言而喻的。
      世间还没有人知道,虽然我们表面上像朋友一样相处,但实际上已经是毫无顾忌的法律上的夫妻了。

      “呐,娜奥米酱。”有一次我对她说,“我和你今后也像朋友一样生活下去?无论何时……”

      “那么,无论何时你都称呼我为‘娜奥米酱’?”

      “那倒是,要不我叫你‘太太’?”

      “不要,我……”

      “要不然叫‘娜奥米’小姐吧?”

      “我不喜欢‘小姐’,请还是叫我‘娜奥米酱’吧,这样比较顺耳。”

      “这样的话,我也永远是‘让治先生’了?”

      “是啊,也没有其他的称呼了。”娜奥米仰面躺在沙发上,手持玫瑰花,贴着唇角频频摆弄,出其不意地说道,“呐,让治先生?”
      说着,她张开双手抱住了我的脖子,取代了那朵花。

      “我可爱的娜奥米酱。”我被她紧紧抱着,在衣袖的阴影中倾吐心声,“我可爱的娜奥米酱,我不仅爱你,说实话,我还崇拜着你。你是我的宝物,是我发现并亲自打磨的钻石。所以为了让你变成美人,我什么东西都买。我可以把我全部的工资上供给你。”

      “不,不用你做这些。与其这样,还不如让我多学习英语和音乐。”

      “是啊,好好学习,好好学习,我马上就给你买钢琴。然后,做一个在西洋人面前也不会羞耻的lady,你一定能做到。”
      ——这种“在西洋人面前”、“像西洋人一样”之类的话,我经常使用。当然,她也很喜欢。

      “怎么样?摆这样的造型,我的脸看起来像西洋人吗?”
      她一边说着,一边在镜子前做出各种表情。

      在看活动写真的时候,她似乎格外注意女.优的动作。璧克馥是这样笑的,皮娜·梅尼凯里②是这样凹显眼神的,格拉汀·法拉③总是这样把头发扎起来……
      到最后,她简直入了迷,连头发都吧嗒吧嗒地解开,模仿着梳成各种各样的发型,捕捉女.优瞬间的情态。这方面她实在是高超。

      “真厉害,即使是演员也不能模仿得这么好吧。果然是因为脸长得像西洋人。”

      “是吗?究竟是哪里像呢?”

      “就是因为你的鼻形和齿列。”

      “啊,牙齿?”
      然后,她像在说“啊”似的张开嘴唇,对着镜子望着那一排牙齿。那是一排晶莹剔透的漂亮齿列。

      “不管怎么说,你和日本人不一样,穿普通的日本服饰就没意思了。干脆就穿洋服,即使穿和服也要穿与众不同的时髦款式。”

      “那是什么风格?”

      “今后的女性会越变越活泼,我想不能再穿以前那种沉闷憋屈的衣服了。”

      “我穿筒袖和服,系上兵儿带不行吗?”

      “筒袖和服也不坏,什么都可以,但要尽量穿出新奇的风格来,既不像日本,也不像中国,更别像西洋,有没有这样的打扮呢……”

      “有的话会给我做?”

      “是啊,我会为你做的。我想给娜奥米酱你做各种衣服,每天都换着穿。不用缩缅那么贵的面料。美利奴呢或者铭仙就足够,主要是设计要奇特。”

      在这场谈话之后,我们经常结伴去各家吴服店和百货商店寻找面料。那时候,几乎没有不去三越或白木屋的星期天。
      总之,我和娜奥米都对普通的女装不满意,所以要找到我认可的样式并不容易。常见的吴服店找不到,就去更纱店、床上用品店、卖白衬衫或洋服的店。有时还特意跑到横滨,去逛那些开在中华街或居留地的面向外国人的面料店。
      经常是花了一天时间到处寻找,两人的脚都累得像擀面杖一样。尽管如此,我们依然到处谋渔。

      我们走路时也不会大意,注意西洋人的身姿和服装,留意所到之处的橱窗。
      偶尔也发现一些稀奇的东西,惊呼道:“啊,那个面料怎么样?”
      然后马上进店拿出橱窗里布料,贴在她的身体上一直从下巴那垂下来,缠绕在她的胴体周围——即使只是这样只问不买,对两个人来说也是足够有趣的游戏。

      近来,普通的日本女性,也开始流行用玻璃纱、乔其纱、棉华而纱的衣服来缝纫单衣。
      第一个注意到那个的人不正是我们吗?娜奥米奇妙地适合那种质地。而且一本正经的衣服也不适合我们。
      这些面料可以制成筒袖和服、睡衣、睡裙、或者直接用别针把料子固定在身上,然后就这样在家里走来走去,站在镜子前摆出各种pose拍照。她被像纱一样透彻的、白的、蔷薇红的、淡紫的衣裳包裹,如一大朵生机勃勃的花儿一样美丽。
      我一边说着“这样看看,那样看看”,一边把她抱起,把她放倒,让她坐下,让她走几步,一连看了好几个小时。

      因为这样,她的衣服在一年里多了好几套。直到她的房间实在放不下这些东西,便把它们随手吊起来,或是卷起来放着。
      或许买个箪笥就好了。但既然有这么多钱不如多买几件衣裳,况且这只是我们的爱好,也没必要那么小心保存。数量虽多,但都是便宜货,破了就扔。反正就把它们放在看得见的地方,心血来潮的时候随便换几次,这样既方便,也能作为屋子的装饰。
      画室里宛如剧院的试衣间,椅子上、沙发面、地板的一角、甚至楼梯的道上,阁楼“看台”的扶手上——几乎没有不乱放衣服的地方。但是她很少洗濯,而且习惯于贴身穿,所以每件衣服都很脏。

      这些多得惊人的衣裳大多都裁得出奇,外出时能穿的只有一半左右。其中有娜奥密非常喜欢的襦子做的袷袄和一对羽织,她经常穿它们出门。
      虽说是襦子,其实是塞了棉花的缎子,羽织和衣服都是虾红色的色无地,草屐的鞋带和羽织的腰带也都是虾红色的。其他的全部,半襟、带留④、襦袢的里子、袖口、裙边,都是一样的水蓝配色。腰带也是用棉襦子做的,又薄又窄,可以把胸束高。半襟的布也要襦子,所以买了缎带。

      娜奥米一般都是在晚上看戏的时候穿着这件闪耀的衣裳,行走在有乐座或帝剧的走廊上,谁都忍不住回头看她。

      “那个女士是谁?”

      “是女.优吗?”

      “是混血儿吧?”

      我和她听着这样的窃窃细语,得意洋洋地故意在一旁徘徊。

      可是,就连这件衣服都让人觉得不可思议,其余的衣服只会比它更奇特——就算娜奥米再怎么喜欢标新立异,也不可能穿到户外去。
      事实上那些衣服不过是放在房间里,作为用来把她放进去的各种容器。就像把一朵美丽的花插在各种各样的花瓶里一样。对我来说,娜奥米既是我的妻子,同时也是世上罕见的人偶和装饰品,不足为奇。因此,她在家里几乎没有穿过正经的衣服。

      这也是从亚米利加活动剧中的男装里得到启发,用黑色天鹅绒做的三件套西装,恐怕是最花钱、最奢侈的室内服装了吧。穿着它,把发烫卷,头戴鸭舌帽的样子,给人一种像猫一样娇媚的感觉。
      夏天自不必说,冬天也经常在火炉边取暖,穿着宽松的睡袍或游泳衣玩。
      光是她穿的拖鞋就有好几双,更不用说刺绣的中华鞋。而且她总是不穿足袋或袜子,直接素足穿鞋。

      ·

      注:
      ①写真机:照相机的别称。
      ②皮娜·梅尼凯里:Giuseppa Iolanda Menichelli,艺名Pina Menichelli,1890年1月10日-1984年8月29日,意大利演员。
      ③格拉汀·法拉:GeraldineFarrar,1882年2月28日-1967年3月11日,是美国歌剧女高音及女演员,以其美貌、戏剧能力及细致的音色而闻名,她获得许多年轻女性的支持,这些女性一般会称为“格里时髦女郎”(Gerry-flappers)。
      ④带留:绦带扣,和服绦带。为防止松脱,在女和服带子外面系的扁带。两端缀有金属卡扣,亦指穿过扁带,在带子的正前面缀的金属件、宝石等的装饰。

      ·

      察しのいい読者のうちには、既に前回の話の間に、私とナミが友達以上の関係を結んだかのように想像する人があるでしょう。が、事実そうではなかったのです。それはなるほど月日の立つに随って、お互の胸の中に一種の「了解」と云うようなものが出来ていたことはありましょう。けれども一方はまだ十五歳の少女であり、私は前にも云うように女にかけて経験のない謹直な「君子」であったばかりでなく、彼女の貞操に関しては責任を感じていたのですから、めったに一時の衝動に駆られてその「了解」の範囲を越えるようなことはしなかったのです。勿論私の心の中には、ナミを措いて自分の妻にするような女はいない、あったところで今更情として彼女を捨てる訳には行かないという考が、次第にしっかりと根を張って来ていました。で、それだけに猶、彼女を汚すような仕方で、或は弄ぶような態度で、最初にその事に触れたくないと思っていました。

      左様、私とナミが始めてそう云う関係になったのはその明くる年、ナミが取って十六歳の年の春、四月の二十六日でした。───と、そうハッキリと覚えているのは、実はその時分、いやずっとその以前、あの行水を使い出した頃から、私は毎日ナミに就いていろいろ興味を感じたことを日記に附けて置いたからです。全くあの頃のナミは、その体つきが一日々々と女らしく、際立って育って行きましたから、ちょうど赤子を産んだ親が「始めて笑う」とか「始めて口をきく」とか云う風に、その子供の生い立のさまを書き留めて置くのと同じような心持で、私は一々自分の注意を惹いた事柄を日記に誌したのでした。私は今でもときどきそれを繰って見ることがありますが、大正某年九月二十一日───即ちナミが十五歳の秋、───の条にはこう書いてあります。───

      「夜の八時に行水を使わせる。海水浴で日に焼けたのがまだ直らない。ちょうど海水着を着ていたところだけが白くて、あとが真っ黒で、私もそうだがナミは生地が白いから、余計カッキリと眼について、裸でいても海水着を着ているようだ。お前の体は縞馬のようだといったら、ナミは可笑しがって笑った。………」

      それから一と月ばかり立って、十月十七日の条には、

      「日に焼けたり皮が剥げたりしていたのがだんだん直ったと思ったら、却って前よりつやつやしい非常に美しい肌になった。私が腕を洗ってやったら、ナミは黙って、肌の上を溶けて流れて行くシャボンの泡を見つめていた。『綺麗だね』と私が云ったら、『ほんとに綺麗ね』と彼女は云って、『シャボンの泡がよ』と附け加えた。………」

      次に十一月の五日───

      「今夜始めて西洋風呂を使って見る。馴れないのでナミはつるつる湯の中で滑ってきゃっきゃっと笑った。『大きなベビーさん』と私が云ったら、私の事を『パパさん』と彼女が云った。………」

      そうです、この「ベビーさん」と「パパさん」とはそれから後も屡々出ました。ナミが何かをねだったり、だだを捏ねたりする時は、いつもふざけて私を「パパさん」と呼んだものです。

      「ナミの成長」───と、その日記にはそう云う標題が附いていました。ですからそれは云うまでもなく、ナミに関した事柄ばかりを記したもので、やがて私は写真機を買い、いよいよメリーピクフォードに似て来る彼女の顔をさまざまな光線や角度から映し撮っては、記事の間のところどころへ貼りつけたりしました。

      日記のことで話が横道へ外れましたが、とにかくそれに依って見ると、私と彼女とが切っても切れない関係になったのは、大森へ来てから第二年目の四月の二十六日なのです。尤も二人の間には云わず語らず「了解」が出来ていたのですから、極めて自然に孰方が孰方を誘惑するのでもなく、殆どこれと云う言葉一つも交さないで、暗黙の裡にそう云う結果になったのです。それから彼女は私の耳に口をつけて、

      「譲治さん、きっとあたしを捨てないでね」

      と云いました。

      「捨てるなんて、───そんなことは決してないから安心おしよ。ナミちゃんには僕の心がよく分っているだろうが、………」

      「ええ、そりゃ分っているけれど、………」

      「じゃ、いつから分っていた?」

      「さあ、いつからだか、………」

      「僕がお前を引き取って世話すると云った時に、ナミちゃんは僕をどう云う風に思った?―――お前を立派な者にして、行く行くお前と結婚するつもりじゃないかと、そう云う風には思わなかった?」

      「そりゃ、そう云う積りなのかしらと思ったけれど、………」

      「じゃナミちゃんも僕の奥さんになってもいい気で来てくれたんだね」

      そして私は彼女の返辞を待つまでもなく、力一杯彼女を強く抱きしめながらつづけました。―――

      「ありがとよ、ナミちゃん、ほんとにありがと、よく分っていてくれた。………僕は今こそ正直なことを云うけれど、お前がこんなに、………こんなにまで僕の理想にかなった女になってくれようとは思わなかった。僕は運がよかったんだ。僕は一生お前を可愛がって上げるよ。………お前ばかりを。………世間によくある夫婦のようにお前を決して粗末にはしないよ。ほんとに僕はお前のために生きているんだと思っておくれ。お前の望みは何でもきっと聴いて上げるから、お前ももっと学問をして立派な人になっておくれ。………」

      「ええ、あたし一生懸命勉強しますわ、そしてほんとに譲治さんの気に入るような女になるわ、きっと………」

      ナミの眼には涙が流れていましたが、いつか私も泣いていました。そして二人はその晩じゅう、行くすえのことを飽かずに語り明かしました。

      それから間もなく、土曜の午後から日曜へかけて郷里へ帰り、母に始めてナミのことを打ち明けました。これは一つには、ナミが国の方の思わくを心配している様子でしたから、彼女に安心を与えるためと、私としても公明正大に事件を運びたかったので、出来るだけ母への報告を急いだ訳でした。私は私の「結婚」に就いての考を正直に述べ、どう云う訳でナミを妻に持ちたいのか、年寄にもよく納得が行くように理由を説いて聞かせました。母は前から私の性格を理解しており、信用していてくれたので、

      「お前がそう云うつもりならその児を嫁に貰うもいいが、その児の里がそう云う家だと面倒が起り易いから、あとあとの迷惑がないように気を付けて」

      と、ただそう云っただけでした。で、おおびらの結婚は二三年先の事にしても、籍だけは早く此方へ入れて置きたいと思ったので、千束町の方にも直ぐ掛け合いましたが、これはもともと呑気な母や兄たちですから、訳なく済んでしまいました。呑気ではあるが、そう腹の黒い人達ではなかったと見えて、慾にからんだようなことは何一つ云いませんでした。

      そうなってから、私とナミとの親密さが急速度に展開したのは云うまでもありません。まだ世間で知る者もなく、うわべは矢張友達のようにしていましたが、もう私たちは誰に憚るところもない法律上の夫婦だったのです。

      「ねえ、ナミちゃん」

      と、私は或る時彼女に云いました。

      「僕とお前はこれから先も友達みたいに暮らそうじゃないか、いつまで立っても。——」

      「じゃ、いつまで立ってもあたしのことを『ナミちゃん』と呼んでくれる?」

      「そりゃそうさ、それとも『奥さん』と呼んであげようか?」

      「いやだわ、あたし、——」

      「そうでなけりゃ『ナミさん』にしようか?」

      「さんはいやだわ、やっぱりちゃんの方がいいわ、あたしがさんにして頂戴って云うまでは」
      「そうすると僕も永久に『譲治さん』だね」

      「そりゃそうだわ、外に呼び方はありゃしないもの」

      ナミはソファへ仰向けにねころんで、薔薇の花を持ちながら、それを頻りに唇へあてていじくっていたかと思うと、そのとき不意に、

      「ねえ、譲治さん?」と、そう云って、両手をひろげて、その花の代りに私の首を抱きしめました。

      「僕の可愛いナミちゃん」と私は息が塞がるくらの暗い中から声を出しながら、

      「僕の可愛いナミちゃん、僕はお前を愛しているばかりじゃない、ほんとうを云えばお前を崇拝しているのだよ。お前は僕の宝物だ、僕が自分で見つけ出して研きをかけたダイヤモンドだ。だからお前を美しい女にするためなら、どんなものでも買ってやるよ。僕の月給をみんなお前に上げてもいいが」

      「いいわ、そんなにしてくれないでも。そんな事よりか、あたし英語と音楽をもっとほんとに勉強するわ」

      「ああ、勉強おし、勉強おし、もう直ぐピアノも買って上げるから。そうして西洋人の前へ出ても耻かしくないようなレディーにおなり、お前ならきっとなれるから」

      ―――この「西洋人の前へ出ても」とか、「西洋人のように」とか云う言葉を、私はたびたび使ったものです。彼女もそれを喜んだことは勿論で、

      「どう? こうやるとあたしの顔は西洋人のように見えない?」

      などと云いながら鏡の前でいろいろ表情をやって見せる。活動写真を見る時に彼女は余程女優の動作に注意を配っているらしく、ピクフォードはこう云う笑い方をするとか、ピナ·メニケリはこんな工合に眼を使うとか、ジェラルディン·ファーラーはいつも頭をこう云う風に束ねているとか、もうしまいには夢中になって、髪の毛までもバラバラに解かしてしまって、それをさまざまの形にしながら真似るのですが、瞬間的にそう云う女優の癖や感じを捉えることは、彼女は実に上手でした。

      「巧いもんだね、とてもその真似は役者にだって出来やしないね、顔が西洋人に似ているんだから」

      「そうかしら、何処が全体似ているのかしら?」

      「その鼻つきと歯ならびのせいだよ」

      「ああ、この歯?」

      そして彼女は「いー」と云うように唇をひろげて、その歯並びを鏡へ映して眺めるのでした。それはほんとに粒の揃った非常につやのある綺麗な歯列だったのです。

      「何しろお前は日本人離れがしているんだから、普通の日本の着物を着たんじゃ面白くないね。いっそ洋服にしてしまうか、和服にしても一風変ったスタイルにしたらどうだい」

      「じゃ、どんなスタイル?」

      「これからの女はだんだん活溌になるんだから、今までのような、あんな重っ苦しい窮屈な物はいけないと思うよ」

      「あたし筒ッぽの着物を着て兵児帯をしめちゃいけないかしら?」

      「筒ッぽも悪くはないよ、何でもいいから出来るだけ新奇な風をして見るんだよ、日本ともつかず、□□ともつかず、西洋ともつかないような、何かそう云うなりはないかな——」

      「あったらあたしに拵えてくれる?」

      「ああ拵えて上げるとも。僕はナミちゃんにいろんな形の服を拵えて、毎日々々取り換え引換え着せて見るようにしたいんだよ。お召だの縮緬だのって、そんな高い物でなくってもいい。めりんすや銘仙で沢山だから、意匠を奇抜にすることだね」

      こんな話の末に、私たちはよく連れ立って方々の呉服屋や、デパートメント·ストーアへ裂地を捜しに行ったものでした。殊にその頃は、殆ど日曜日の度毎に三越や白木屋へ行かないことはなかったでしょう。とにかく普通の女物ではナミも私も満足しないので、これはと思う柄を見つけるのは容易でなく、在り来たりの呉服屋では駄目だと思って、更紗屋だの、敷物屋だの、ワイシャツや洋服の裂を売る店だの、わざわざ横浜まで出かけて行って、□□人街や居留地にある外国人向きの裂屋だのを、一日がかりで尋ね廻ったことがありましたっけが、二人ともくたびれ切って足を摺粉木のようにしながら、それからそれへと何処までも品物を漁りに行きます。路を通るにも油断をしないで、西洋人の姿や服装に目をつけたり、到る処のショウ·ウインドウに注意します。たまたま珍しいものが見つかると、

      「あ、あの裂はどう?」

      と叫びながら、すぐその店へ這入って行ってその反物をウインドウから出して来させ、彼女の身体へあてがって見て頤の下からだらりと下へ垂らしたり、胴の周りへぐるぐると巻きつけたりする。―――それは全く、ただそうやって冷かして歩くだけでも、二人に取っては優に面白い遊びでした。

      近頃でこそ一般の日本の婦人が、ルガンディーやジョウゼットや、コットン·ボイルや、ああ云うものを単衣に仕立てることがポツポツ流行って来ましたけれども、あれに始めて目をつけたものは私たちではなかったでしょうか。ナミは奇妙にあんな地質が似合いました。それも真面目な着物ではいけないので、筒ッぽにしたり、パジャマのような形にしたり、ナイト·ガウンのようにしたり、反物のまま身体に巻きつけてところどころをブローチで止めたり、そうしてそんななりをしてはただ家の中を往ったり来たりして、鏡の前に立って見るとか、いろいろなポーズを写真に撮るとかして見るのです。白や、薔薇色や、薄紫の、紗のように透き徹るそれらの衣に包まれた彼女の姿は、一箇の生きた大輪の花のように美しく、「こうして御覧、ああして御覧」と云いながら、私は彼女を抱き起したり、倒したり、腰かけさせたり、歩かせたりして、何時間でも眺めていました。

      こんな風でしたから、彼女の衣裳は一年間に幾通りとなく殖えたものです。彼女はそれらを自分の部屋へはとてもしまいきれないので、手あたり次第に何処へでも吊り下げたり、丸めて置いたりしていました。箪笥を買えばよかったのですが、そう云うお金があるくらいなら少しでも余計衣裳を買いたいし、それに私たちの趣味として、何もそんなに大切に保存する必要はない。数は多いがみんな安物であるし、どうせ傍から着殺してしまうのだから、見える所へ散らかして置いて、気が向いた時に何遍でも取り換えた方が便利でもあり、第一部屋の装飾にもなる。で、アトリエの中はあたかも芝居の衣裳部屋のように、椅子の上でもソファの上でも、床の隅っこでも、甚だしきは梯.子段の中途や、屋根裏の桟敷の手すりにまでも、それがだらしなく放ッたらかしてない所はなかったのです。そしてめったに洗濯をしたことがなく、おまけに彼女はそれらを素肌へ纏うのが癖でしたから、どれも大概は垢じみていました。

      これらの沢山な衣裳の多くは突飛な裁ち方になっていましたから、外出の際に着られるようなのは、半分ぐらいしかなかったでしょう。中でもナミが非常に好きで、おりおり戸外へ着て歩いたのに、繻子の袷と対の羽織がありました。繻子と云っても綿入りの繻子でしたが、羽織も着物も全体が無地の蝦色で、草履の鼻緒や、羽織の紐にまで蝦色を使い、その他はすべて、半襟でも、帯でも、帯留でも、襦袢の裡でも、袖口でも、袘でも、一様に淡い水色を配しました。帯もやっぱり綿繻子で作って、心をうすく、幅を狭く拵えて思いきり固く胸高に締め、半襟の布には繻子に似たものが欲しいと云うので、リボンを買って来てつけたりしました。ナミがそれを着て出るのは大概夜の芝居見物の時なので、そのぎらぎらした眩しい地質の衣裳をきらめかしながら、有楽座や帝劇の廊下を歩くと、誰でも彼女を振返って見ないものはありません。

      「何だろうあの女は?」

      「女優かしら?」

      「混血児かしら?」

      などと云う囁きを耳にしながら、私も彼女も得意そうにわざとそこいらをうろついたものでした。

      が、その着物でさえそんなに人が不思議がったくらいですから、ましてそれ以上に奇抜なものは、いくらナミが風変りを好んでも到底戸外へ着て行く訳には行きません。それらは実際ただ部屋の中で、彼女をいろいろな器に入れて眺めるための、容れ物だったに過ぎないのです。たとえば一輪の美しい花を、さまざまな花瓶へ挿し換えて見るのと同じ心持だったでしょう。私にとってナミは妻であると同時に、世にも珍しき人形であり、装飾品でもあったのですから、敢て驚くには足りないのです。従って彼女は、殆ど家で真面目ななりをしていることはありませんでした。これも何とか云う亜米利加の活動劇の男装からヒントを得て、黒いビロードで拵えさせた三ツ組の背広服などは、恐らく一番金のかかった、贅沢な室内着だったでしょう。それを着込んで、髪の毛をくるくると巻いて、鳥打帽子を被った姿は猫のようになまめかしい感じでしたが、夏は勿論、冬もストーヴで部屋を暖めて、ゆるやかなガウンや海水着一つで遊んでいることも屡々ありました。彼女の穿いたスリッパの数だけでも、刺繍した□□の靴を始めとして何足くらいあったでしょうか。そして彼女は多くの場合足袋や靴下を着けることはなく、いつもそれらの穿物を直かに素足に穿いていました。

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