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14、十四 ...
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那夜,两人的睡前故事,不需要事事尽全。
娜奥米听我说起在精养轩的事情后,骂道:“真是太失礼了!不知道该对这些家伙说些什么!”然后一笑置之。
总之,当时世间还不了解social dance的意义。只要有男人和女人挽着手跳舞,就会臆测其间有什么不好的关系,马上予以质评。这些人反感着新时代流行的东西,又把持着报纸,写了一些敷衍了事的报道来中伤。
所以,一般人认为跳舞是不健康的东西,我们也必须做好被说这种话的心理准备——
“而且,除了让治先生,我还从来没有和别的男人单独待过呢——呐,是不是这样?”
去跳舞的时候和我一起,在家里玩的时候也和我一起,就算我不在家,也不会留哪怕一个客人。即使是有人来,娜奥米只要说“今天家里只有我一个人”,一般都会客气地回去。她的朋友里没有那种不讲规矩的男人。娜奥米是这么说的——
“我再怎么任性,也分得清好坏。如果我想骗让治先生,我当然骗得了你,但我绝对不会那样做。我行事光明正大啊,完全没有什么要对让治先生隐瞒的。”她说。
“这我也明白,只是被那样说了,心里感觉不舒服。”
“感觉不舒服,那要怎么办?再也不去跳舞了?”
“并非不能去跳舞,我的意思是,你要小心行事,不要被别人误解。”
“我现在不就是一直很小心地跟着你吗?”
“所以我才没有误解。”
“只要让治先生不误解我,不管世人怎么说,我都不怕。反正我粗鲁又嘴笨,大家都讨厌我……”
然后她又表白:只要我相信她,爱她就足够了。
她不像女人,所以能自然而然地交到男性朋友,男方利落,她也喜欢和他们一起玩,但丝毫没有“色恋”这种讨厌的心情。
她用多愁善感、娇甜的语气反复撒娇,最后又谈起“从十五岁起的养育之恩我一直难忘”、“我把让治先生既当父亲、又当丈夫”等陈词滥调。她时而潸然泪下,时而又让我拭去泪水,连珠炮似地下起了热吻之雨。
不可思议的是,不知是故意还是偶然,聊了那么久,唯独漏过了浜田和熊谷的名字。
其实我也想问问这两个名字,看看她脸上出现的反应,但终究没能说出口。
当然,我并不是从头到尾都相信她的话,但只要怀疑,什么事都可以怀疑,过去的事也没必要追究,以后注意监督就行了……不,一开始我还打算采取更强硬的态度,后来却渐渐暧昧不清了。
在泪水和亲吻中,夹杂着啜泣声,我怀疑这是谎言,踌躇不前,但又觉得那像是真的。
这件事发生之后,我无意中注意到了娜奥米的用意,她似乎渐渐改变了原来的态度,自然而然。虽然也会去跳舞,但不像以前那样频繁,即使去了也不会跳太久,在适当的时候就会回来。
客人也不会过来大肆吵闹。
我下班回来后,就看见她一个人老老实实地待在家里,或看小说,或织毛衣,或静静地听着留声器,或在花坛里种花。
“今天也是一个人看家吗?”
“嗯,一个人,没人来玩。”
“那你不觉得寂寞吗?”
“从一开始就注定是一个人的话,就不会寂寞了,我没事的。”她这么说着,“我喜欢热闹,但也不讨厌寂寞。小时候没有朋友,也是一个人玩。”
“啊,这么说来就是这么回事。在diamond coffee的时候,你和同事们也很少说话,甚至有点阴郁。”
“是的,虽然我看起来像个疯丫头,但我的本性是阴郁的——阴郁不行吗?”
“温顺再好不过,可要是变得阴郁就麻烦了。”
“不过总比上次那样胡闹要好吧?”
“不知道好了多少。”
“我已经是个好孩子了吧?”
她突然跳到我身边,双手抱着我的脖子激吻,几乎让我眼前一黑。
“怎么样?好久没去跳舞了,今晚去看看吧!”
我主动邀请她。
“无所谓——只要让治先生想去……”她心事重重地回了一句,“还是去参加活动吧,今晚不想跳舞。”
这样的对话经常发生。
似乎那个四五年前的、单纯快乐的生活又回到了我们之间。
我和娜奥米过二人世界,每天晚上都去浅草,去小屋看活动写真,回来的时候在某个料理屋吃晚饭,“那时候是这样的”、“是那样的”,互相倾吐着对往昔的怀念,沉浸在回忆中。
“你当时年纪还小,坐在帝国馆的横木上,扶着我的肩膀看。”我说。
“让治先生一开始来咖啡馆的时候,满脸不高兴,一声不吭地站在远处盯着我的脸,让人很不舒服。”娜奥米说。
“这么说来,papa先生你最近都不帮我洗澡了,之前不是一直帮我洗的吗?”
“啊,是的,是有这回事。”
“是不是因为发生了这些事才不帮我洗?还是因为我长大了,你就讨厌?”
“怎么可能会讨厌!现在我就想帮你洗呢,其实是我有所顾虑。”
“是吗?那就请你来帮我洗一下吧,我又要当你的baby小姐了。”
这样的对话之后,正好到了适合冲澡的季节,我再次把扔在储藏间角落里的西洋浴池搬到画室,给她洗身体。
“baby大小姐”——我曾经这么说过,但四年过后的现在,娜奥米躺在浴池里,看她那颀长的身姿,已然长成了一个完全的“大人”。她那头发散开后,丰满得像骤雨云,各处关节处凹有小窝,肉质圆润。肩膀更宽厚了,胸与臀也带着弹性,在堆积如山的肉浪中,优雅的腿越来越长了。
“让治先生,我长高了多少?”
“确实长高了。好像和我差不多。”
“我马上就要比让治先生更高了。上次我量了一下.体重,十四贯两百①(53.25kg)。”
“吓了我一跳,我也才不到十六贯(60kg)啊。”
“可是,让治还是比我还重吧!你这么矮。”
“当然很重啊!不管再怎么矮,男人的骨头都是结实的。”
“那么,现在让治先生还有勇气当马载我吗?就像刚来的时候,你回想一下,我跨在你的背上,用毛巾当缰绳,一边‘驾、驾、吁、吁’地叫着,一边在房间里转——”
“嗯,那时候还挺轻的,大概只有十二贯(45kg)吧。”
“要是现在,让治先生肯定会被压垮的。”
“怎么可能会被压垮?如果你不相信,那就上来试试吧。”
两人开着玩笑,最后,又像以前一样玩起了骑马游戏。
“来,我变成马了。”
说着,我四肢着地趴在地上。
娜奥米咚地骑在我背上,用那十四贯二百重的重量压过来,让我把毛巾咬进嘴里,当缰绳。
“嘛,这是小马拉大车呀!再稳一点!驾、驾!吁、吁!”
她叫着,饶有兴致地用脚夹紧我的腹部,然后使劲地勒紧缰绳。
为了不被她压垮,我流着汗拼命地在房间里来回爬。在我筋疲力尽之前,她不会停止恶作剧。
“让治先生,今年夏天要不要去一次镰仓?”到了八月,她问,“自那以后,我再也没去过了,真想再去看看。”
“好吧,这么说来确实是这样。”
“是啊,所以今年就去镰仓吧,那是纪念我们的地方,不是吗?”
娜奥米的这句话,让我多么的高兴啊。
就如娜奥米所说,我们的新婚旅行——嘛,说起来,新婚旅行确实在镰仓。镰仓对我们来说应该是值得纪念的地方。
从那以后,我们每年都会去一个地方避暑,但却完全忘记了镰仓。娜奥米能说出这句话,真是太好不过。
“行吧,一起去!”
我说着,立刻表示赞同。
商量得差不多了,我向公司请了十天假,把大森的家锁好,月初两人就去了镰仓。
我们宿在位于长谷大道的、往御用邸方向的路上、一家叫“植总”的花店的偏间。
我最初是这么想的:既然这次不住金波楼,那不如住个稍微风趣一点的旅馆。没想到最后居然租了房子。
是娜奥米提议去住花店的偏房,她原话是,“我从杉崎女士那里听说了一件好事。”娜奥米的意思是,住旅馆既不经济,又要担心周围的邻居,能租个房间最好了。
幸运的是,杉崎女士的亲戚是东洋石油的董事,租了一间一直没住的房间,据说可以给我们住,这样不是很好吗?那个董事租了六、七、八三个月,一共五百日元,但只在镰仓住了七月份就已经厌倦了,只要有人想借,他都很乐意。他说既然是杉崎女士介绍的,房租什么的就无所谓了……大意就是这样。
“没有比这更好的事了。这样的话还不用花钱,这个月都能去。”娜奥米说。
“可是我要去公司上班,不能玩那么久。”
“镰仓不是每天都有火车坐吗?对吧?”
“但是,如果你不喜欢那里呢……”
“我明天就去看看,如果我喜欢的话,就能住吗?”
“能住,只是就这么平白住进去,让人怪不好意思啊,还是再和她谈谈吧……”
“这我知道。让治先生很忙的吧,如果你同意的话,就让我去杉崎老师那里,拜托她收下钱。嗯,至少得付一百日元,不,一百五十日元。”
就这样,娜奥米一个人啪嗒啪嗒地忙活着。最后双方互相让步,房租以一百日元的现金付清。
我还在担心呢,去了一看,房子比想象的好。
虽说是租来的房间,但其实是一栋独立的平屋,八叠和四叠半的房间外有玄关、浴室和厨房,出入口也是分开的。从院子就可以直接走到大街上,也不需要和花店的人见面,这样一来,就相当于两个人在这里建立了新家。
我在新铺的纯日式榻榻米上坐下,盘腿坐在长火盆前,舒展筋骨。
“呀,这里很好啊,感觉非常放松。”
“不错的房子吧?和大森的那个比哪个更好?”
“这里能更让人安心,不管待多久都可以。”
“你看,所以我才说要住在这里。”娜奥米很得意地说着。
有一天——大概是我们来这里三天后左右的时候吧,中午我去洗了个澡,游了一个多小时后,两人躺在沙滨上。
“娜奥米女士!”
突然,有人在我们的头顶上这么叫。
一看,原来是熊谷。
他好像刚刚从海里上来,湿漉漉的泳衣紧贴着他的胸口,潮水沿着他毛茸茸的小腿滴落。
“哦呀,阿麻,你什么时候来的?”
“今天来了——我还以为肯定不是你呢,没想到果然是这样。”
然后,熊谷朝大海举起手。
“喂——”
接着,海面上也传来声音。
“喂——”
有人回答。
“谁?谁在那边游泳?”
“是滨田哟——今天我和滨田、关、中村四个人一起来的。”
“嘛,那可真热闹啊,你们住哪儿的旅店?”
“嘿,没那么景气。东京太热了,没办法,就过来了一天。”
娜奥米和他聊着天,不一会儿,浜田就上来了。
“呀,有段时间了!好久不见——河合先生,最近怎么没去跳舞啊?”
“倒也不是,只是娜奥米厌倦了而已。”
“是吗?那就怪了——你们是什么时候来这里的?”
“就在两三天前,我租了长谷花店的偏房。”
“那里真是个好地方,是杉崎老师帮我租的,约定好就这个月。”
“可真是洒落啊。”熊谷说。
“你们暂时住在这里?”滨田问,“镰仓也有舞会,今晚在海滨宾馆就有一场,如果有舞伴的话,我想去看看。”
“我不要。”娜奥米冷淡地说。“这么热的天,跳舞可是禁物,等天气转凉了再说。”
“那倒也是,跳舞不是夏天该做的事。”滨田说着,一脸尴尬地捏扭,“喂,阿麻——再游一趟吧?”
“不去,我累了,该回去了。现在去休息一下,回到东京天也就黑了。”
“你们现在要去哪里?”娜奥米问滨田,“难道有什么有趣的事?”
“没什么,关的叔父在扇谷那边有一幢别墅,今天把大家都拉到那里,说要请客吃饭,但我觉得太憋屈了,饭没吃完就逃了。”
“是吗?那么憋屈的吗?”
“憋屈啊,好憋屈的,女仆出来后,规规矩矩地三指触地跪拜行礼,太拘束了。那样就算请客,饭也吃不下去的吧——浜田,该回去了,回去后在东京吃点东西吧。”
熊谷说着,并没有马上站起来,而是伸直腿坐在沙滩上,抓起沙子往膝盖上盖。
娜奥米、滨田和熊谷突然全部都陷入了沉默。
“这样的话,不如和我们一起吃个晚饭吧?难得来了……”
我觉得如果我不这么说,就会显得很差劲。
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①贯:尺贯法的重量单位。1贯为1000文目,即3.75公斤,明治24年(1891)到昭和33年(1958)在商业交易中使用。
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その夜の二人の寝物語は、別にくだくだしく書くまでもありません。ナミは私から精養軒での話を聞くと、「まあ、失敬な!何て云う物を知らない奴等だろう!」と口汚く罵って一笑に附してしまいました。要するにまだ世間ではソシアル·ダンスと云うものの意義を諒解していない。男と女が手を組み合って踊りさえすれば、何かその間に良くない関係があるもののように臆測して、直ぐそう云う評判を立てる。新時代の流行に反感を持つ新聞などが、又いい加減な記事を書いては中傷するので、一般の人はダンスと云えば不健全なものだと極めてしまっている。だから私たちは、どうせそのくらいな事は云われる覚悟でいなければならない。―――
「それにあたしは、譲治さんより外の男と二人ッきりで居たことなんか一度もないのよ。―――ねえ、そうじゃなくって?」
ダンスに行く時も私と一緒、内で遊ぶ時も私と一緒、万一私が留守であっても、客は一人と云うことはない。一人で来ても「今日は此方も一人だから」と云えば、大概遠慮して帰ってしまう。彼女の友達にはそんな不作法な男は居ない。―――ナミはそう云って、「あたしがいくら我が儘だって、いいことと悪いことぐらいは分っているわよ。そりゃ譲治さんを欺そうと思えば欺せるけれど、あたし決してそんな事はしやしないわ。ほんとに公明正大よ、何一つとして譲治さんに隠したことなんかありゃしないのよ」と云うのでした。
「それは僕だって分っているんだよ、ただあんな事を云われたのが、気持が悪かったと云うだけなんだよ」
「悪かったら、どうするって云うの? もうダンスなんか止めるって云うの?」
「止めなくってもいいけれど、成るべく誤解されないように、用心した方がいいと云うのさ」
「あたし、今も云うように用心して附き合っているじゃないの」
「だから、僕は誤解していやあしないよ」
「譲治さんさえ誤解していなけりゃ、世間の奴等が何て云おうと、恐くはないわ。どうせあたしは、乱暴で口が悪くって、みんなに憎まれるんだから。―――」
そして彼女は、ただ私が信じてくれ、愛してくれれば沢山だとか、自分は女のようでないから自然男の友達が出来、男の方がサッパリしていて自分も好きだものだから、彼等とばかり遊ぶのだけれど、色の恋のと云うようなイヤらしい気持は少しもないとか、センチメンタルな、甘ったるい口調で繰り返して、最後には例の「十五の歳から育てて貰った恩を忘れたことはない」とか「譲治さんを親とも思い夫とも思っています」とか、極まり文句を云いながら、さめざめと涙を流したり、又その涙を私に拭かせたり、矢継ぎ早に接吻の雨を降らせたりするのでした。
が、そんなに長く話をしながら浜田と熊谷の名前だけは、故意にか、偶然にか、不思議に彼女は云いませんでした。私も実はこの二つの名を云って、彼女の顔に現れる反応を見たいと思っていたのに、とうとう云いそびれてしまいました。勿論私は彼女の言葉を一から十まで信じた訳ではありませんが、しかし疑えばどんな事でも疑えますし、強いて過ぎ去った事までも詮議立てする必要はない、これから先を注意して監督すればいいのだと、………いや、始めはもっと強硬に出るつもりでいたにも拘わらず、次第にそう云う曖昧な態度にさせられました。そして涙と接吻の中から、すすり泣きの音に交って囁かれる声を聞いていると、嘘ではないかと二の足を蹈みながら、やっぱりそれが本当のように思われて来るのでした。
こんな事があってから後、私はそれとなくナミの様子に気をつけましたが、彼女は少しずつ、あまり不自然でない程度に、在来の態度を改めつつあるようでした。ダンスにも行くことは行きますけれど、今までのように頻繁ではなく、行っても余り沢山は踊らずに、程よいところで切り上げて来る。客もうるさくはやって来ない。私が会社から帰って来ると、独りで大人しく留守番して、小説を読むとか、編物をするとか、静かに蓄音器を聴いているとか、花壇に花を植えるとかしている。
「今日も独りで留守番かね?」
「ええ、独りよ、誰も遊びに来なかったわ」
「じゃ、淋しくはなかったかね?」
「始めから独りときまっていれば、淋しいことなんかありゃしないわ、あたし平気よ」
そう云って、
「あたし、賑やかなのも好きだけれど、淋しいのも嫌いじゃないわ。子供の時分にはお友達なんかちっともなくって、いつも独りで遊んでいたのよ」
「ああ、そう云えばそんな風だったね。ダイヤモンド·カフエエにいた時分なんか、仲間の者ともあんまり口を利かないで、少し陰鬱なくらいだったね」
「ええ、そう、あたしはお転婆なようだけれど、ほんとうの性質は陰鬱なのよ。―――陰鬱じゃいけない?」
「大人しいのは結構だけれど、陰鬱になられても困るなア」
「でもこの間じゅうのように、暴れるよりはよくはなくって?」
「そりゃいくらいいか知れやしないよ」
「あたし、好い児になったでしょ」
そしていきなり私に飛び着いて、両手で首ッ玉を抱きしめながら、眼が晦むほど切なく激しく、接吻したりするのでした。
「どうだね、暫くダンスに行かないから、今夜あたり行って見ようか」
と、私の方から誘いをかけても、
「どうでも―――譲治さんが行きたいなら、―――」
と、浮かぬ顔つきで生返辞をしたり、「それより活動へ行きましょうよ、今夜はダンスは気が進まないわ」と云うようなこともよくありました。
又あの、四五年前の、純な楽しい生活が、二人の間に戻って来ました。私とナミとは水入らずの二人きりで、毎晩のように浅草へ出かけ、活動小屋を覗いたり帰りには何処かの料理屋で晩飯をたべながら、「あの時分はこうだった」とか「ああだった」とか、互になつかしい昔のことを語り合って、思い出に耽る。「お前はなりが小さかったものだから、帝国館の横木の上へ腰をかけて、私の肩に掴まりながら絵を見たんだよ」と私が云えば、「譲治さんが始めてカフエエへ来た時分には、イヤにむッつりと黙り込んで、遠くの方からジロジロ私の顔ばかり見て、気味が悪かった」とナミが云う。
「そう云えばパパさんは、この頃あたしをお湯に入れてくれないのね、あの時分にはあたしの体を始終洗ってくれたじゃないの」
「ああそうそう、そんな事もあったっけね」
「あったっけじゃないわ、もう洗ってくれないの? こんなにあたしが大きくなっちゃ、洗うのは厭?」
「厭なことがあるもんか、今でも洗ってやりたいんだけれど、実は遠慮していたんだよ」
「そう? じゃ、洗って頂戴よ、あたし又ベビーさんになるわ」
こんな会話があってから、ちょうど幸い行水の季節になって来たので、私は再び、物置きの隅に捨ててあった西洋風呂をアトリエに運び、彼女の体を洗ってやるようになりました。「大きなベビさん」―――と、嘗てはそう云ったものですけれど、あれから四年の月日が過ぎた今のナミは、そのたっぷりした身長を湯船の中へ横たえて見ると、もはや立派に成人し切って完全な「大人」になっていました。ほどけば夕立雲のように、一杯にひろがる豊満な髪、ところどころの関節に、えくぼの出来ているまろやかな肉づき。そしてその肩は更に一層の厚みを増し、胸と臀とはいやが上にも弾力を帯びて、堆く波うち、優雅な脚はいよいよ長くなったように思われました。
「譲治さん、あたしいくらかせいが伸びた?」
「ああ、伸びたとも。もうこの頃じゃ僕とあんまり違わないようだね」
「今にあたし、譲治さんより高くなるわよ。この間目方を計ったら十四貫二百あったわ」
「驚いたね、僕だってやっと十六貫足らずだよ」
「でも譲治さんはあたしより重いの? ちびの癖に」
「そりゃ重いさ、いくらちびでも男は骨組が頑丈だからな」
「じゃ、今でも譲治さんは馬になって、あたしを乗せる勇気がある?―――来たての時分にはよくそんなことをやったじゃないの。ほら、あたしが背中へ跨って、手拭いを手綱にして、ハイハイドウドウって云いながら、部屋の中を廻ったりして、―――」
「うん、あの時分には軽かったね、十二貫ぐらいなもんだったろうよ」
「今だったらば譲治さんは潰れちまうわよ」
「潰れるもんかよ。嘘だと思うなら乗って御覧」
二人は冗談を云った末に、昔のように又馬ごっこをやったことがありました。
「さ、馬になったよ」
と、そう云って、私が四つん這いになると、ナミはどしんと背中の上へ、その十四貫二百の重みでのしかかって、手拭いの手綱を私の口に咬えさせ、「まあ、何て云う小さなよたよた馬だろう! もっとしッかり! ハイハイ、ドウドウ!」
と叫びながら、面白そうに脚で私の腹を締めつけ、手綱をグイグイとしごきます。私は彼女に潰されまいと一生懸命に力み返って、汗を掻き掻き部屋を廻ります。そして彼女は、私がへたばってしまうまではそのいたずらを止めないのでした。
「譲治さん、今年の夏は久振りで鎌倉へ行かない?」
八月になると、彼女は云いました。
「あたし、あれッきり行かないんだから行って見たいわ」
「成る程、そう云えばあれッきりだったかね」
「そうよ、だから今年は鎌倉にしましょうよ、あたしたちの記念の土地じゃないの」
ナミのこの言葉は、どんなに私を喜ばしたことでしょう。ナミの云う通り、私たちが新婚旅行?―――まあ云って見れば新婚旅行に出かけたのは鎌倉でした。鎌倉ぐらいわれわれに取って記念になる土地はない筈でした。あれから後も毎年何処かへ避暑に行きながら、すっかり鎌倉を忘れていたのに、ナミがそれを云い出してくれたのは、全く素晴らしい思いつきでした。
「行こう、是非行こう!」
私はそう云って、一も二もなく賛成しました。
相談が極まるとそこそこに、会社の方は十日間の休暇を貰い、大森の家に戸じまりをして、月の初めに二人は鎌倉へ出かけました。宿は長谷の通りから御用邸の方へ行く道の、植惣と云う植木屋の離れ座敷を借りました。
私は最初、今度はまさか金波楼でもあるまいから、少し気の利いた旅館へ泊るつもりでしたが、それが図らずも間借りをするようになったのは、「大変都合のいいことを杉崎女史から聞いた」と云って、この植木屋の離れの話をナミが持って来たからでした。ナミの云うには、旅館は不経済でもあり、あたり近所に気がねもあるから、間借りが出来れば一番いい。で、仕合わせなことに、女史の親戚の東洋石油の重役の人が、借りたままで使わずにいる貸間があって、それを此方へ譲って貰えるそうだから、いっそその方がいいじゃないか。その重役は、六、七、八、と三カ月間五百円の約束で借り、七月一杯は居たのだけれど、もう鎌倉も飽きて来たから誰でも借りたい人があるなら喜んで貸す。杉崎女史の周旋とあれば家賃などはどうでもいいと云っているから、………と云うのでした。
「ね、こんな旨い話はないからそうしましょうよ。それならお金もかからないから、今月一杯行っていられるわ」
と、ナミは云いました。
「だってお前、会社があるからそんなに長くは遊べないよ」
「だけど鎌倉なら、毎日汽車で通えるじゃないの、ね、そうしない?」
「しかし、そこがお前の気に入るかどうか見て来ないじゃあ、………」
「ええ、あたし明日でも行って見て来るわ、そしてあたしの気に入ったら極めてもいい?」
「極めてもいいけれど、ただと云うのも気持が悪いから、そこを何とか話をつけて置かなけりゃあ、………」
「そりゃ分ってるわ。譲治さんは忙しいだろうから、いいとなったら杉崎先生の所へ行って、お金を取ってくれるように頼んで来るわ。まあ百円か百五十円は払わなくっちゃ。………」
こんな調子で、ナミは独りでぱたぱたと進行させて、家賃は百円と云うことに折れ合い、金の取引も彼女がすっかり済ませて来ました。
私はどうかと案じていましたが、行って見ると思ったより好い家でした。貸間とは云うものの、母屋から独立した平家建ての一棟で、八畳と四畳半の座敷の外に、玄関と湯殿と台所があり、出入口も別になっていて、庭から直ぐと往来へ出ることが出来、植木屋の家族とも顔を合わせる必要はなく、これなら成る程、二人が此処で新世帯を構えたようなものでした。私は久振りで、純日本式の新しい畳の上に腰をおろし、長火鉢の前にあぐらを掻いて、伸び伸びとしました。
「や、これはいい、非常に気分がゆったりするね」
「いい家でしょう?大森と孰方がよくって?」
「ずっとこの方が落ち着くね、これなら幾らでも居られそうだよ」
「それ御覧なさい、だからあたしが此処にしようって云ったんだわ」
そう云ってナミは得意でした。
或る日―――此処へ来てから三日ぐらい立った時だったでしょうか、午から水を浴びに行って、一時間ばかり泳いだ後、二人が沙浜にころがっていると、「ナミさん!」と、不意に私たちの顔の上で、そう呼んだ者がありました。
見ると、それは熊谷でした。たった今海から上ったらしく、濡れた海水着がべったりと胸に吸い着き、その毛むくじゃらな脛を伝わって、ぼたぼた潮水が滴れていました。
「おや、まアちゃん、いつ来たの?」
「今日来たんだよ、―――てっきりお前にちげえねえと思ったら、やっぱりそうだった」
そして熊谷は海に向って手を挙げながら、「おーい」と呼ぶと、沖の方でも、「おーい」と誰かが返辞をしました。
「誰?彼処に泳いでいるのは?」
「浜田だよ、―――浜田と関と中村と、四人で今日やって来たんだ」
「まあ、そりゃ大分賑やかだわね、何処の宿屋に泊っているの?」
「ヘッ、そんな景気のいいんじゃねえんだ。あんまり暑くって仕様がねえから、ちょっと日帰りでやって来たのよ」
ナミと彼とがしゃべっている所へ、やがて浜田が上って来ました。
「やあ、暫く! 大へん御無沙汰しちまって、―――どうです河合さん、近頃さっぱりダンスにお見えになりませんね」
「そう云う訳でもないんですが、ナミが飽きたと云うもんだから」
「そうですか、そりゃ怪しからんな。―――あなた方はいつから此方へ?」
「つい二三日前からですよ、長谷の植木屋の離れ座敷を借りているんです」
「そりゃほんとにいい所よ、杉崎先生のお世話でもって今月一杯の約束で借りたの」
「乙う洒落てるね」
と、熊谷が云いました。
「じゃ、当分此処に居るんですか」
と浜田は云って、
「だけど鎌倉にもダンスはありますよ。今夜も実は海浜ホテルにあるんだけれど、相手があれば行きたいところなんだがなア」
「いやだわ、あたし」と、ナミはにべもなく云いました。
「この暑いのにダンスなんか禁物だわ、又そのうちに涼しくなったら出かけるわよ」
「それもそうだね、ダンスは夏のものじゃないね」
そう云って浜田は、つかぬ様子でモジモジしながら、
「おい、どうするいまアちゃん―――もう一遍泳いで来ようか?」
「やあだア、己あ、くたびれたからもう帰ろうや。これから行って一と休みして、東京へ帰ると日が暮れるぜ」
「これから行くって、何処へ行くのよ?」
と、ナミは浜田に尋ねました。
「何か面白い事でもあるの?」
「なあに、扇ヶ谷に関の叔父さんの別荘があるんだよ。今日はみんなでそこへ引っ張って来られたんで、御馳走するって云うんだけれど、窮屈だから飯を喰わずに逃げ出そうと思っているのさ」
「そう? そんなに窮屈なの?」
「窮屈も窮屈も、女中が出て来て三つ指を衝きやがるんで、ガッカリよ。あれじゃ御馳走になったって飯が喉へ通りゃしねえや。―――なあ、浜田、もう帰ろうや、帰って東京で何か喰おうや」
そう云いながら、熊谷は直ぐに立とうとはしないで、脚を伸ばしてどっかり浜へ腰を据えたまま、砂を掴んで膝の上へ打っかけていました。
「ではどうです、僕等と一緒に晩飯をたべませんか。折角来たもんだから、―――」
ナミも浜田も熊谷も、一としきり黙り込んでしまったので、私はどうもそう云わなければ、バツが悪いような気がしました。